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温かいカレーライス

(2011年6月)


いろいろ思い出の味はあるが、あのカレーライスは格別だった。

1993年7月、北海道・奥尻島。

12日、東京・築地の社会部で泊まり勤務についていた。午後10時すぎ、奥尻島に震度6の地震が襲ったと第一報が届いた。さらに、津波が集落を襲ったとの情報も。島の消防署に電話をすると、「町がなくなっているんです」と緊迫した声が返ってきた。集落が根こそぎ津波でさらわれたという。

温かいカレーライス

1993年7月12日午後10時17分ごろ、北海道と東北地方を中心に大規模な地震が発生。特に震源に近い奥尻島では、最も被害が大きかった。写真は津波と火災でがれきの山と化した奥尻島の青苗地区。

朝刊を作り終え夜が明け始めたころ、羽田空港から社のヘリコプターで現地に向かった。秋田空港で給油して、奥尻島上空に到着したのは午前9時ごろだったと思う。

海岸線を上空からまわり、着陸しようとしたところ、ちょうどいい広い空き地をみつけた。そこが集落ごと流失した青苗地区だった。降り立って、よく目をこらすと、遺体ががれきとともに横たわっていた。

■ 冷たいおにぎり

それから、取材がはじまった。夕刊、朝刊と原稿を送り続け、早朝から未明までへとへとだった。7月とはいえ、北海道の朝晩は寒い。しかし、食料は本社から届くおにぎりだった。毎日、毎日、3食とも、冷たくなった食事とウーロン茶。さすがに、うんざりした。

奥尻島も、高台の地区は比較的、被害は少ないところもあった。
着の身着のままのスーツ姿で取材していたため、軽装な着替えが必要になった。ある集落で古い衣料品店をみつけた。店に入ると、プーンと独特のいいにおいがした。

■ 極限でもやさしい

カレーライスだった。買い物をすませ、つい話してしまった。「カレーですか」。中年のおかみさんは、「東京から取材にきているの。ご苦労さまです。やっと、つくれたカレーです。肉はないし、あり合わせの野菜しかないけど、よかったら食べていって」

正直迷った。被災者から、カレーをふるまわれていいのか。いったん取材拠点の民宿に戻って先輩と相談した。力をつけて、原稿でがんばろうと2人でごちそうになることにした。暖かい食事は10日ぶりだっただろうか。

地震でぐちゃぐちゃになった店内を通り、まだ片づけも十分でない台所のテーブルについた。ハフハフしてカレーを食べると、本当に幸せだった。何人もの親類が津波でなくなり、家屋も流されたり、地震で倒壊したり。それでも、私たちを気遣ってくれた。

極限の状況でも、人はやさしい。島の人は、ことのほかやさしかった。

後日、東京に戻り、お礼のおまんじゅうを送った。

そして、手紙を添えた。
「カレ-の味、一生忘れません。おおきな力をいただきました。悲惨な震災の実情を精いっぱい世の中に伝えることで、お返しにします」

マグニチュード7・8だった北海道南西沖地震は、最大30メートルの津波が発生、死者201人、行方不明28人にのぼった。

それから、18年。再び悲劇は繰り返された。しかし、東日本大震災の被災地の現場でも、取材する側もされる側もなく、「惨状を伝えたい。伝えてほしい」という思いで互いの気持ちは重なりあっていることだろう。
(朝日新聞静岡総局長 西川祥一)

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