直木三十五
(2011年7月)
日本文学振興会主催の「第145回芥川賞・直木賞(平成23年度上半期)」の選考委員会が7月14日、都内で開かれ、芥川賞は「該当作なし」、直木賞は池井戸潤氏の「下町ロケット」に決まった。
おなじみの、この両賞は昭和10年に芥川龍之介、直木三十五の名にちなんで制定された。芥川賞は純文学短編作品中から、直木賞は短編および長編の大衆文芸作品から、もっとも優秀な作品に与えられる。主に無名もしくは新進作家が対象とされている。
子供時分から高校生まで、野球ばかりにうつつを抜かし、本といえば貸本屋で漫画を借りるものとばかり思っていたから、その読書量といえば知れたものである。大学生になって初めて事の重大性に気がつき、慌てて読みあさったが、すでに古典を読む気力はうせ、もっぱら手軽な本ばかりを読んでいるうちに定年も間近になった。
それでも、芥川龍之介は中学校であったか教科書で「蜘蛛(くも)の糸」を読んだ記憶があるから、まだなじみがあるが、直木三十五については全く「未知の人」で、だいたい、このペンネームをどう読むのかすら分からなかった。
その人生の全貌を語るには知識がなさ過ぎるが、その著作、後世の人間が書き残したものに、直木の赤貧ぶり(その多くは彼自身の生き方自体に起因しているように思えるが)がいくつも書き記されている。
早大時代の友人で、後に文芸評論家となる青野季吉が学校帰りに直木宅(すでに結婚していた)を訪ねると「いつも直木の膝に抱かれてゐる子猫が、妻君の膝にうづくまつてゐて(中略)子猫が妻君の膝からよろけ下りて、廊下の板の上を庭の方へ二三歩いざると、そのままのめるやうにして後肢を長く引いたまま、小さな頭を落として硬直してしまつた」。
「妻君は走り寄ってその死骸を抱きあげ、こんなにして死ぬやうだったら何故私達のところへ迷ひ込んで来たのかと、声を立てて泣いた。この小猫の死が、何か不運な自分たちの運命を暗示するものであるかのやうに、妻君には思ひなされたらしい」。
「直木はと見ると、黙然と手を組んだまま妻君の悲歎を見てゐたが、次第に目がしらがうるんで来て、涙が鼻の脇をつたって落ちてきた。それをべつにぬぐいもせず、ややあって僕の方を向いて、寂しく微笑した」(「直木の早稲田時代」青野季吉著)。
ペンネームは彼の自伝「死までを語る」(青空文庫)に「私の本名は、植村宗一で、植を二分して、直木と匿名にし、当時三十一であったから、直木三十一、翌年三十二と、一目上りに変えてきて、三十五で止めたのであるが―」とある。
なおき・さんじゅうご、享年43―。
(日刊スポーツ新聞社文化社会部編集委員 石井秀一)
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