被災地取材と出会い
(2011年9月)
5~7月の2カ月近く、岩手県で被災地の取材に行ってきました。主に取材したのは、沿岸南部の大船渡、陸前高田の両市でしたが、初めて被災地に入ったときの衝撃は忘れることができません。
震災から2カ月以上経過していましたが、その爪痕はまだ生々しく残っていました。土台を残し、跡形もなくなった家屋、1階部分が崩れ、傾いた飲食店、廃虚となったホテル、学校……、目にした光景はまぶたに焼き付いています。
「何を聞けばいいのだろう。自分に何ができるのだろう」。慣れない被災地での取材にとまどいもありました。しかし、取材を通じて、困難に直面しながら、前を向いて進むたくさん人たちに出会うことができました。
陸前高田市気仙町で「気仙茶」を栽培する96歳の紺野隆治さんを取材したときのことです。気仙茶は機械製茶の国内「北限」とされ、毎年5~6月に行われる一番茶の収穫は「北限の茶摘み」として親しまれていました。
約90戸ある農家のうち、最も大きな茶畑を持つ紺野さん。茶づくりが生きがいで、毎日、高台にある茶畑から、作業の合間に海や国の名勝「高田松原」など、眼下に広がる美しい景色を眺めるのが好きでした。
しかし、3月11日。高台からの眺めは一変しました。松原は1本を残してなくなり、製茶工場の設備も壊れ、自宅も流されてしまいました。紺野さんは老人福祉施設に一時避難した後、さいたま市の長女宅に身を寄せることになりました。
「早く茶畑に戻りたいねえ」。さいたま市に紺野さんを訪ねると、温かく迎えてくれました。少し耳が聞こえにくくなってしまったということでしたが、茶づくりの話を生き生きと語ってくれました。
一時は断念しかけた茶摘みでしたが、その後、地元の高校が協力を呼びかけ、生徒たちが参加し、一番茶の茶摘みができました。
紺野さんも埼玉から娘さんの車でかけつけ、高校生らと茶摘みをしました。「今年も茶摘みができてうれしい。必ず陸前高田に戻って、茶栽培を続けたい」。紺野さんのうれしそうな笑顔は忘れられません。
800台ほどあったカキの養殖いかだが津波で全滅。3年後の出荷再開を目指し、丸太を組み立てて、日々いかだ造りに励む4人の漁師たち。加工場や冷蔵庫が被災し、30人の従業員を泣く泣く解雇、それでも再開を目指す水産加工会社の社長。中古の調理道具をかき集め、プレハブの店舗でラーメン店を再開した飲食店店主……。
厳しい体験を胸に抱えながら、もう一度立ち上がろうとする人たちに会う度、取材をしているこちらの方が勇気をもらいました。
これからもそうしたあきらめない人の姿、多くの声なき声を拾い上げ、伝えていけたらと思っています。
(朝日新聞沼津支局記者 土肥修一)





