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震災の「死線」を越えて

(2011年11月)

宮城県大川小学校の校舎内の時計は、午後3時37分を指したまま止まっていた。

東日本大震災発生から2週間後、被災地に入った。津波の被害を受けた地域では、学校や役場の時計は、地震が発生した3月11日午後2時46分の30分~50分後で止まっていた。津波が到達した時間であり、多くの人が生きていた最後の時刻でもある。

なぜ、これほど多くの犠牲者をださなければならなかったのか。地震発生直後から、かつて担当した気象庁に入り、津波の大きさや到達時間を調べながら疑問は膨らんでいった。

被災地に入り、最初にくっきりと見えたのは、生死をわけた「死線」だった。道路一つはさんで全壊している家とまったく被害のない家。揺れによる被害があまりなかっただけに、津波の破壊力がはっきりと見えた。

自然が分けたその線が、住民の人生を大きく分けていた。

震災の「死線」を越えて①

74人の児童と10人の教職員が死亡・行方不明となっている大川小学校(大久保写す)

行方不明者の多さが、津波災害をより深刻にしていた。震災発生から8カ月余りがたってもいまだ3千人を超える人の行方がわからない。

6,437人の死者、行方不明者を出した阪神大震災では、1カ月後の行方不明者はわずか2人だった。早朝の地震で自宅が倒壊したり、火災で亡くなったりする人が8割余りを占め、自宅周辺で見つかったからだ。

東日本大震災では、被災者は津波で自宅を失った中で、家族を捜さなければならなかった。がれきの街や遺体安置所を毎日回る。市役所や町役場の掲示板には、家族の情報を求める切実な伝言で埋まっていた。

安置所の遺体は、汚れをきれいにとっても泥にまみれた土色が残っていた。悲しいはずの家族との再会でありながら、「会えて良かった」と語る遺族がいた。「まだ見つけてやれない」と自分を責める人がいた。

2万人近くが犠牲になったというより、1人の死が2万回近く繰り返されている。遺体安置所や土葬場所を回りながら、そう感じた。

それだけに、地震発生から30分~50分の時間がありながら、なぜ逃げきれなかったのか、との思いは募った。

震災の「死線」を越えて②

津波で大きな被害を受けた宮城県女川町。壊れたビルの上に乗用車が乗り上げている(大久保写す)

三陸地方は、明治や昭和の津波でも大きな被害を出している。その時の津波の到達地点などが所々に記されている。「ここまでは来ないから」と避難しなかった高齢者も多くいた。経験が避難をためらわせた。

岩手県陸前高田市や大槌町では、多数の自主防災組織の役員が、避難誘導にあたっていて津波に巻き込まれた話を聞いた。消防団員の犠牲も多い。

釜石市では、地区の防災センターに逃げ込み多くの人が亡くなった。津波の避難場所ではなかったが、訓練で使っていて住民は誤解していた。訓練が思いこみを助長していたようなケースはほかにもあった。

一方で、釜石市では、小中学生が一緒に逃げて助かった。同市の小中学生の死者は、たまたま早退して自宅にいた児童だけだった。学校にいた児童、生徒は全員無事だった。日ごろの防災教育や訓練が生きた。

先頭を切って逃げた男子中学生は一晩、母親とは連絡がとれず、泣いて一夜を過ごした。母親は無事だった。母親が学校に向かっていたら、再会はできなかっただろう。家族バラバラになってもてんで逃げるという三陸地方の「津波てんでんこ」を肌で感じたという。

宮城県山元町の小学校では、低学年の児童は逃げ切れないと、校長の機転で屋上に逃げ、屋根裏に避難して一夜を過ごした。学校に迫る大津波を校長は子どもたちに見せないようにした。いろんな人の知恵が救った命も多い。

静岡に来る前は、気象庁や国の防災機関を担当していた。中央防災会議が想定した東北地方での津波被害は、最悪で2,700人だった。地震の規模が「想定」を超えたこともあるが、人の動きまでは想定することはできなかった。

災害を取材してきて二つのことをいつも思っている。一つは、地震や台風という自然現象は抑えることはできない。ただ、それが災害になるかどうかは、その時の社会の防災力だと思う。

もう一つ。災害は、弱い所、弱い人に向かって迫る。東日本大震災の死者・不明者の約6割は65歳以上の高齢者だ。病院で逃げ切れなかった患者も多い。

被災地を回りながら、二つのことは改めて感じた。弱い人を救える対策を考えていくことで、災害を小さくしていくことができるのではないかと思う。

5月の転勤で、東海地震が想定される静岡に来た。東京にいる時、中央防災会議の想定を書いた記事では、東海、東南海、南海地震が連動して発生した場合、最悪の死者は2万8千人となっている。

被害をどうすれば減らせるのか。静岡では1854年の安政東海地震以来、東海地震は発生していない。東海地震を知る人はだれもいない。

その「想定東海地震」にどう備えるのか。東日本大震災の被災地で見えた「死線」をなくすために、何を伝えていくのか。今はそんな思いで取材している。
(朝日新聞静岡総局記者 大久保 泰)

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