女性記者とマラソン
(2011年12月)
2011年12月10日、ノーベルの命日にノルウェーの首都オスロで行われるノーベル平和賞の授賞式は例年になく華やいだものになりそうだ。
3人の受賞者はいずれも女性だからだ。「紛争解決や民主化に女性が大きな力を発揮した」と授賞理由はいう。とかく政治的とされる平和賞だが、これなら大歓迎だ。
人口の半分である女性の力を生かす。当たり前のはずなのに、なかなか進まない。
朝日新聞の女性記者も増えてきてはいるが、現状では2割ほどだ。
しかし、私が入社した1970年代末、東京本社の女性記者は、学芸を中心に社会、科学の各部に少数いたが、政治、経済、外報、そして運動の各部にはいなかった。
政治部出身の大先輩が「女性が政治部に来るころには女性がマラソン走ってるよって冗談言ってたら、本当にそうなった」と振り返っていたが、確かに、ともにありえないと考えられていた時期もあったのだ。それを考えれば、隔世の感がある。
記者はそれぞれの持ち場で取材をするが、そこでものをいうのは自分の関心や問題意識だ。記者の多様性は、それだけ紙面が豊かになることを意味する。女性記者もできるだけ多い方がいい。
10月にも、大阪高裁が婚外子の相続差別は違憲であるとの決定をしていた、という特ダネが1面に載った。筆者は裁判担当の記者ではなく、この問題に関心を持つ東京本社の女性記者だった。
私も女性の活用を訴える社説を書いたことがある。そんな社説も、ごく自然に男性が書くようになってほしい。
まだまだ少数派だが、女性記者の活躍にご注目を。
(朝日新聞論説委員 辻 篤子)
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