新聞に載らない内緒話
この冬の、オーバー
寒い日が続く。今年は例年になく寒い、そんな気がしている。
恰好をつけるわけではないが、この季節、いつも厚手の上着にマフラーだけで過ごしてきた。首回りさえ暖めれば、たいがいの寒さはしのげるはずである。(2012年1月)
遠い正月
正月を迎えるとあって、障子の張り替えを家人に頼まれた。実は前年も障子紙を買ってきて試みたのだが、生来の不器用で、1年も経たないうちにはがれ始めた。猫が引っかいた跡もあり、重い腰を上げざるを得なくなったのである。(2011年12月)
年の暮れに越中富山
年末、気ぜわしい季節がやってきた。早々と来年の暦をめくっていたら、どうも芳しくない。今年の運気が良かっただけに気になる年回りである。まぁ、定年間近で、気を引き締めよということだろう。(2011年12月)
1945年11月23日
11月23日はプロ野球にとって重要な日である。終戦からわずか3カ月、1945年(昭20)のこの日、戦後初のプロ野球、東西対抗が開催された。(2011年10月)
名前の由来
先日、用事があって役所へ行ってきた。書類を作成するのに、その記入手順、用例が丁寧に掲示されている。まぁ、それをなぞって書いていけばよいので苦労はない。名前欄見本には「○○太郎」、女性なら「○○花子」と表記されている。(2011年9月)
ある安楽死
家人が猫好きで、多いときは5匹、飼っていた。「飼っていた」と過去形なのは、ここ数年で3匹は亡くなり、1匹はある日フラリと姿を消した。残る1匹は真っ黒なそれで、家人に言わせれば「かなりの高齢なのよ」ということになる。(2011年8月)
直木三十五
日本文学振興会主催の「第145回芥川賞・直木賞(平成23年度上半期)」の選考委員会が7月14日、都内で開かれ、芥川賞は「該当作なし」、直木賞は池井戸潤氏の「下町ロケット」に決まった。(2011年7月)
津波の重さ
入社間もない時期だから、昭和50年代半ばだろうか。上野発仙台行きの寝台急行が運行していた。午後11時42分発「新星」で、仕事を終え、社からタクシーを飛ばせば発車のベルに間に合った。B寝台の、料金の安い3段ベッド最上段に潜り込んだ。(2011年6月)
「後ろには夢がない」
新緑、薫風、若葉―そんな表現の似合う季節がやってきた。もっとも「五月病」などという言葉も健在だから、この月は季語が示すほどのんきな季節でもないようだ。(2011年5月)
都会の、教訓
サラリーマンの多くは経験されたことであろう。3月11日の、東日本大震災の夜のことである。午後10時すぎ、仕事に区切りをつけ、東京・築地の小社を出た。(2011年4月)
「仙台へ行ってくる」
相変わらず安酒場で呑んでいる。仕事を終えて店に入ったのは日付も代わったころだった。 人影のない店内に、ぬうっと大男が入ってきた。こちらの存在に気がつくと、擦り寄ってきた。(2011年3月)
クライストチャーチ…
会社に着いて、編集局に入ったら臨時ニュースが流れていた。2月22日の午前、10時をまわったころである。ニュージーランド南島で大地震だという。(2011年2月)
スイスからのメール
大学生の就職難が伝えられている。1月18日の、厚生労働省および文部科学省が発表した「就職内定状況調査」によると、2011年春に卒業を迎える大学生の12月1日時点の就職内定率は、調査を開始した1996年度以降で最低の、前年同期比4・3ポイント減の68・8%だった、という。(2011年1月)
「あけまして」「こんにちは」
年が明けた。今年は元日、2日が土日で、いつから仕事始めなのか微妙な年の始まりである。(2011年1月)
クリスマス余情
「汽車にあって電車にないものは《未練》である」と書いたのは久世光彦だった。(2010年12月)
今年も同期会
今年も中学校の、同期会の季節がやってきた。毎年1回、都内で開催している。幹事を務めていることもあり、毎回出席しているが、いつの間にか出席者が固定化され、同じ顔ぶればかりが並ぶ。(2010年11月)
街角で、猫を拾った
猫を拾った。
商店街の坂道、店先の段ボールの中に、雑貨とともに横倒しになっていた。折からの夕日を真っ向はね返す黄金色で、右足(右手?)で空へ手招きをしていた。(2010年10月)
“再春”18きっぷ
今年の夏は思い立って「青春18きっぷ」を購入した。ご存知の方も多かろうが、ざっと説明すると、この切符は5枚綴り(5回分=夏・冬期間限定)で、原則国内の普通電車は乗り放題、暇さえあれば日本国中、1日当たり2300円で廻ることが出来る。(2010年9月)
王登美さん死去
ずいぶん昔の話だが、「王家の人々」というルポを書いた。確か、王さんの巨人監督時代、初優勝の時だから昭和62年ということになる。(2010年8月)
阿武松余聞
以前なら「阿武松」と書いて、すぐに「おうのまつ」と読めたのは相撲ファンか、落語好きだけであったろう。六代目三遊亭円生が時折、「阿武松」を高座に掛けた。(2010年8月)
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