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新聞記者の泣き笑い

被災地を取材して

昨年3月11日の東日本大震災。地震が発生した時には、研修で東京本社に派遣されていました。震災直後、私が任された仕事は、亡くなられた方々のお名前を紙面に掲載することです。(2012年1月 朝日新聞静岡総局記者 阿部朋美)

震災の「死線」を越えて

東日本大震災発生から2週間後、被災地に入った。津波の被害を受けた地域では、学校や役場の時計は、地震が発生した3月11日午後2時46分の30分~50分後で止まっていた。津波が到達した時間であり、多くの人が生きていた最後の時刻でもある。
(2011年11月 朝日新聞静岡総局記者 大久保 泰)

被災地取材と出会い

5~7月の2カ月近く、岩手県で被災地の取材に行ってきました。主に取材したのは、沿岸南部の大船渡、陸前高田の両市でしたが、初めて被災地に入ったときの衝撃は忘れることができません。
(2011年9月 朝日新聞沼津支局記者 土肥修一)

取材メモもパソコン入力に

東日本大震災の取材では、被災地の現場に地方の総支局の記者も多数応援に出ました。被災地の現場だけでなく、福島第一原子力発電所の事故状況については毎日、東京の東京電力本店や原子力保安院で会見が行われており、その取材の応援にも各地の記者が出かけました。(2011年8月 朝日新聞富士支局長 本多昭彦)

震災発生時の取材と悲しいおにぎり

3月11日午後2時46分。東日本大震災の発生時、私は東京・築地の朝日新聞東京本社にいました。激しく長い揺れに、大きな被害を覚悟せずにはいられませんでした。
(2011年7月 朝日新聞静岡総局記者 上澤博之)

地魚でもてなしを

熱海市網代の魚はうまい。なにより鮮度がいい。小料理屋の女将さんが「このウルメイワシ、網代のだからおいいしいよ」と勧めてくれた。足が早くて、いわゆる鮮度落ちしやすい、イワシなどの青魚もここでは臭みもなく、ぷりぷりしている。
(2011年1月 朝日新聞熱海支局長 白石陽一)

うーんと思ったこと二題

文章を書くのは難しい。それが商品となるならなおさらです。記者になって四半世紀を過ぎた今も、複雑な事象や神経を使う記事を書く前には、どうしたら真実により近く表現できるだろうと神に祈りたくなります。11月の取材から、うーんと思ったことをふたつ。
(2010年11月 朝日新聞沼津支局長 菅尾保 50歳)

9月30日と10月23日

今年も、9月30日と10月23日がめぐって来ました。忘れてはいけない日。9月30日は茨城県東海村で起きた核燃料加工施設・JCOでの臨界事故、10月23日は新潟県中越地震の発生日です。ともに当時の思い出がよみがえります。
(2010年10月 朝日新聞浜松支局長 羽場正浩 47歳)

人間関係希薄になりつつある?

取材活動をしていて、最近感じることがあります。それは「人と人のつながりが希薄になっている」という疑いです。特に都市化が進む場所で顕著だと思っていましたが、静岡でも例外ではありませんでした。全国で相次いで発覚する高齢者の所在不明問題は、隣人や家族間で希薄になった人間関係が、表面化する事態にもなっています。
(2010年9月 朝日新聞静岡総局記者 阿部朋美 25歳)

参院選を終えて

参院選が終わりました。政権交代への審判となる国政選挙として注目され、各党が戦いましたが、報道する側でも様々な戦いがありました。
(2010年8月 朝日新聞静岡総局記者 山田知英 39歳)

夏、球児とともに

7月10日から、甲子園を目指す球児たちの熱戦が始まります。「夏なんてまだまだ先」と思うかもしれません。でも、春から若手記者が高校野球取材に専念するのが、我が社の伝統となっているのです。そして、私もついに、5月から高校野球担当記者になりました。
(2010年5月 朝日新聞静岡総局記者 植松佳香 23歳)

記者の一番つらい仕事

いろいろな人に会って話を聞き、記事を書く。それは新聞記者のおもしろさのひとつですが、話を聞くどころか会うのさえつらい取材相手もいます。「声をかけてもいいものだろうか……」。そんな苦悩にさいなまれるのが「遺族取材」です。
(2010年4月 朝日新聞沼津支局記者 中沢滋人 38歳)

不規則な生活、メタボはいやだ

静岡に来て2年。ご飯もお酒もおいしいし、大好きな街だ。ところが、不摂生な生活を送るせいか、学生のころに割れていた腹筋がいまは……。駿府マラソンへの出場を機に肉体改造を目指そうと動き出す。
(2010年3月 朝日新聞静岡総局記者 山口裕起 25歳)

声なき声にニュースあり

大きな声だけが通り、小さな声は無視される。そんな社会ではいけないと、「声なき声」に耳を傾ける。地味だけれど、これも記者の大事な仕事なのです。
(2010年2月 朝日新聞静岡総局記者 阪田隼人 27歳)

エースの一言に涙

人の役に立つ記事を書きたい、世の中を少しでもよくするような仕事をしたい――そんな志を秘めて日々取材現場を走り回る新聞記者ですが、逆に、助けられ、励まされることも少なくありません。そして、今回私を助けてくれたのは、何と、あのエースでした。
(2010年1月 朝日新聞浜松支局記者 馬場由美子 43歳)

つかず離れず、微妙な関係

記者として取材先との接触が密になるにつれ、相手との距離感や、記事を書く際の自分の立ち位置に悩むことがあります。当事者でもなければ、全くの傍観者でもない、微妙なバランスを求められる局面が少なくないのです。
(2009年12月 朝日新聞静岡総局記者 小川弘平 29歳)

撮った ど突かれた 考えた

戦場特派員でなくても、新聞記者には思わぬところから「弾丸」が飛んでくることがあります。痛い目に遭って考えることも少なくありません。
(2009年11月 朝日新聞静岡総局記者 長谷川 潤 35歳)

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